どうして冬の日の夕方ってのはこんなに

 きれいなんだろ・・・雲ひとつない青い空ってのがゆっくりと夜の闇っていう深い青に溶け込んでいく瞬間の一瞬、一瞬が切なげだわあ。はあ。梶井基次郎、「冬の日」、久しぶりに読んでみようカナ。
 確かレヴィ・ストロースも「悲しき熱帯」で夕焼けのグラデーションっぷりの美しさってやつを言葉で正確に伝えることができればなあ・・・・なーんて書いてたっケ。うちは中野区のはずれみたいなところにあるマンションの3階なんだけど、近くに高い建物がまったくないから見晴らしがトコトンいい。最近流行ってる・・・というか世間を座席している佐内正史やらの写真(ちょっと露光多めの白くとんでほんわかぼやかし気味の無印のカタログみたいな!やつ)やら空の写真ってのはこの時代のイマージュってやつなのかなあ?確か新現実佐藤心ラカン現実界を引用しながらギャルゲーと「ほしのこえ」の空がどうのこうのって書いてたっけ。
 それにしても素人にデジカメ持たせると夕焼けばっかりとってるような気がする。新潮社の出してた「アウフォト」人気が例の木村伊兵衛賞の3人組を生み出したわけかどうかはなぞなんだけど・・・(ここにおいてプリクラ、うつるんです、の90年代からデジカメ、LOMO、ポラロイドSX−70への移項の変遷に触れたいけどそれはちょっとおいておいてっと・・・)DTMや写真業界、映像業界におけるデジタル機器の普及革命ってものの恩恵があってそれなりの変化がそれぞれの領域にどんどん見出されているのに、文学における「デジタル機器の普及革命」ってのがないがために最近の芥川賞綿矢りささんやらのわかーい女の子受賞もこの国における文学の変革(内容面ではなく、手段としてのメディアの構造的な変革を伴ったもの)をまーーーったく反映してないようで悲しい。な。少なくとも蜷川美花、HIROMIX、長島有里枝はこっぴどく批評家にたたかれてはいた「女の子写真」って巷の流行の象徴になってたんだし・・・・DTMだったらアンダーグラウンドではあってもエレクトロニカ、トランス、テクノ、ハウス、アブストラクトヒップホップ、音響(は特に)デジタル化の波の恩恵を受けて波に乗ってるワケだし。それに比べて今回の芥川賞受賞の二人によって何か新しく象徴された文学の側面ってのが、ぜーんぜん感じられない。同人誌っていうアンダーグラウンドな領域が拡大するような予感やらもまーったくないんだよネ。ハア。大塚英志はがんばってるんだけど・・・・・やっぱこのままいくと文学ってのは純文学っていう名前の「伝統芸能」とアニメの小説化である「ノベルもの」と、OLやら大学生が読む「こじゃれたやつ」村上春樹吉本ばなな山田詠美路線のもの(こういったのが好きな人は漫画だと松本大洋やら魚喃キリコ南Q太岡崎京子好きな人が多い)くらいしかなくなるんじゃないかと思う。(いや、若い人が読みそうな文学ってことで、よ)J文学なーんていつのまにか死語になってるし・・・・ てか、安部和重のindividual projectionが売れたのってジャケ写のおかげじゃない?例のラブホで若いストリート系の女の子の下着写真「ちんかめ」しかとれないしょーもない写真家のおかげでしょ?それにしてもあんなに抜けない!本、だれが買ってるんだろ。なぞだなあ。