おかしさに彩られた悲しくも崇高な宮台真司

 ハア。なんつーか。最近やけにいろんなことが悲しいのだ。
そう、多分、うまく言葉になんかできやしないんだろーケド、アタシってモノの大部分をぶっ壊して作り上げてぶっ壊してまた作ってまたぶっ壊しては作る・・・・なーんて作業をガンガンやっていた、あの、90年代ってものが終わってしまったのだ。



イヤ、いまさら何言ってるの。っていわれるのもまあ、しょうがないんだろうけど。
ごく最近までアタシの中では90年代的なもの、特にサブカルチャーはちょこっと落ち目だけどまだまだなんとかなるさー なーんて考えがどことなくあったんだけどもう、それもなくなってサ・・・・ハア。(よく考えてみれば90年代ってすごい時代だったんだと思う。オウムもあったし、エヴァもあったし、エンコーもあったし、地震もあったしさー 自殺もドラッグもレイブもあったし。今から思い返してみれば終わらない日常ってのは結局終わらない非日常だったのネって思えるくらいだ。クイックジャパンだってすんごく面白かったし、GONもまだエロ本じゃなかったし、だめ連だってロフトプラスワンだってめちゃくちゃ面白かった。うんうん)なのに、まあ、そんなものが全部だめになってしまって、特に大好きだったこの人(宮台真司)の最近の発言なんか見てるとますますそれを実感しないといけないんで非常にユウウツ。


さて、何を隠そうアタシは中学生の時にこの人の書くものにハマって汚いオヤジどものチンコを30本くらい咥えたのだ。いや、マジで。それだけじゃなくて鶴見済というとんでもないジャンキーライターの本をさらにマジで信じていろいろ実践してしまいめちゃくちゃになってしまった。(笑)まあ、そんなこんなのおかげでぶっ壊れることに対して前向きな今の自分ができてしまったんだけど・・・・いいのか?こんなんで。ハア。


とりあえず、最近の宮台さんの発言はひどい!いや、論理的にどうのこうのではなく、こう、一ファンとして読んでいてつまらない。面白くない。


そもそも、どうしてこんなことになってしまったのだろう。とにかく2004年という現在を生きているアタシは90年代末にアタシが夢見ていたアタシではないのだ。ってのはつまり、こう、宮台さんが言っていた入れ替え可能で流動性に適応してまあ、そこそこ内在に生きていける、んでもって鶴見済のようにつまんなかったら適当にネタ(薬)でもやって踊ってまったり生きてきゃいいさー みたいな。てか、今はもう、それどころじゃないのだ。なんせ友達はみんな薬(合法、違法)でおかしくなるし、顔見知りが3人も自殺とODで死んじゃって、生きてる子たちもリストカットオーバードーズは止まらないは、拒食に過食に境界例やら分裂やらのオンパレード。まさに病気の名前の順列組み合わせを尽くすのに精一杯努力してます、アタシ達みたいなメンヘルど壷にハマってしまったのだ。やーれやれ。女の子が資本主義の中でボロボロになって落ちていくのは岡崎京子のマンガの中だけにしてほしい。本当に。


でも、ちょっと考えてみると宮台=援助交際鶴見済=ドラッグとレイブ、人格改造、自殺といった世紀末の処方箋といういくつかの統一規格=啓蒙が生み出したのが結局悪循環を悪循環するしかないメンヘラーだったなんて!(えーっとここの部分は宮台発言「90年代半ばにブルセラや援交を軽々とこなした女子高生達のその後を見ると、多くがいわゆる「メンヘル系」となり、抗鬱剤や安定剤などのお薬に依存する子が出てきました」を参照。ちなみに鶴見済が「人格改造マニュアル」で示した終わらない日常の処方箋こそがこれらの「抗鬱剤や安定剤などのお薬」であって、こういった処方箋が病気からの回復ではなく、それによってますます病気を深めてしまっている。つまり、宮台や鶴見が提唱した救済手段がその目的の原因を再生産してしまうという悪循環を生み出し、その循環がメンヘラーを多重に生産しているのが「新現実」ってヤツなんだ。フウ。)やーれやれ、こりゃまたなんていう啓蒙の弁証法なんでしょうネ。そんなわけなのかよくわからないのですが、自己批判の総括をかねてか宮台さんは最近ゼミで「啓蒙の弁証法」(アドルノ、ホルクハイマー)をやってるらしいですよ。みなさん。(笑)


ところで、今、宮台が言ってることは小難しくてぐだぐだしてる。でもはしょって考えてみればそれはめちゃくちゃ単純で、要は、現在におけるリアルな政治とはプロレスなのだということだと思う。全てのプロレスはやらせだ。ネタであり、一つ一つの細かい技や場外乱闘まで!全部台本や脚本が存在してファンもそのことを十分知っている。でも、彼らはマジで見ている。宮台真司三島由紀夫論を通して伝えたいのは「日本人でもない力道山がやらせでがっぽりお金もらって負けるフリしている悪徳外人レスラーを見て国民はみんな大興奮!!大フィーバー!!!したあの感動をもう一度、でも、やってぱり力道山朝鮮人で、今は北朝鮮のシンボルなんだよね。日本人じゃなくて」みたいなことだ。でもさあ、こんな言説だったら某電波少年プロデューサーの「これはドキュメンタリーじゃないんだよ。エンターテイメントなんだよ」で十分だと思う。つまり、政治は今、マジでプロレスになってしまったのだ。2ちゃんねる的な言説空間として。そしてそんなファッキンな状況の中で僕/私達はそれでも、あえて、政治という困難な行いを行わなければならないのだとサ。ギャグ=マジで。


さてさて、プロレスを見る観客にとって一番つまらないのはネタである演技さえろくにできない、変に自意識過剰でうじうじしたプレイのプロレスラーだと思う。なんていうか、今の宮台の言葉は変に演技を意識しすぎて演技しきれないプロレスラーそのものなのだ。いいたいことは良くわかるし、「あえて」そう言わないと表現できないのもわかるんだけど、うーん。面白くない。惹かれない。「人間って結局バカなんだけど・・・・」と、内言語「・・・」の部分に思いを託す。(新現実vol3)って冷静にバカを観察してうだうだ言う前に、「言ってることはめちゃくちゃでバカなんだけど実はクールだった90年代のブルセラ社会学宮台真司」=「まさにバカじゃないバカそのもの」に戻ってほしいなあ、ハア。アタシとしては、ネ。だってあのときのあなたの言動こそが「人間(援助交際する女子高生)って結局バカなんだけど・・・・バカじゃないよね」という内言語そのものだったのだから。今の宮台さんには空虚なシステム論の言葉があってもそれを実行する「愚徹な人間の身振り=援助交際少女そのものの身振り」がない。つまり、意味はあっても強度がない。カリスマ性がなくなってしまったのだ。ハアーあ。